十人十色の「65歳からの歩き方」


相川浩之

 

 人生100年時代の歩き方は人の数だけある。
 そして、それぞれの歩き方は年齢によって異なる。
 どこから手をつけていいかわからないので、まずは昨年末から今年の年明けにかけて、中学、高校時代の親しい友人たち一人ひとりと会って、「65歳になってから、どんな歩き方をしているのか」を聞いてみた。友人たちとはこれまでも同期会などで何度か会っていたが、突っ込んだ話はほとんどしていなかった。じっくり話を聞いてみると、知らなかった話がいろいろ出てきた。

髪の毛は真っ白になったが、あとは変わらない(気がする)M君 

 2022年の12月上旬に まず会ったのは、中学、高校が一緒だったM君。練馬区練馬1-7-6、郵便番号も176の蕎麦屋さん、176で開店直後の17時半から、料理とお酒を楽しみながら、話をした。

 M君はゼネコン準大手の企業の設計部門にいて、2000年、43歳の時に独立した。高校の軟式テニス部で共通の友人だったS君の自宅の建て替えを担当、建て替えが終わった時に、完成を祝って、その家で軟式テニス部の仲間たちとお酒を飲んだ。でも仲間で会うと、どうしても思い出話が中心となる。なぜ独立したのかとか、その後の仕事の様子とかは、じっくり話したことはなかった。

 彼は自分で立ち上げた事務所にいるので定年はない。「図面を引くスピードは落ちてきた」というが、まだまだ現役だ。一戸建ての住宅から、店舗、オフィス、保養所に至るまでさまざまな建築の設計を手掛けている。コロナ禍で受注が一気に減ったと言い、一人で働くことは決して楽ではないようだが、仕事の話をする彼を見ていると、とても楽しそうだ。
 建築の世界に入る時、「空飛ぶ円盤を作る」なんて言っていたけれど、改めて聞くと、中学時代にいまのドローンの原型になる模型も作ったらしい。出力が足りず飛ばなかったというが、単なる夢物語ではなかったんだなと、何十年もたってから知った。

 なぜ彼は独立したか。管理職になるよりも、常に第一線で設計をしていたかったようだ。彼は仕事が趣味でもあるようだ。

 彼は、独立するなら、現役バリバリの時が一番いいという。なぜなら、友人、知人のネットワークが生かせるからだ。M君の場合、大学の同級生が工務店を経営しており、ずいぶん仕事を回してくれたという。会社のOBもサポートしてくれた。「運が良かった」とM君。65歳になってから独立しても、完全にリタイアしてしまう人も多く、なかなか先輩や同期の友人に助けてもらうのは難しい。

 二次会は彼の自宅地下にある事務所で。3月に「猫可愛がりしていた」愛犬のロンが癌のような病気で死んでしまったという。いま、施設に入っている彼のお母様もロンが好きで、彼は今でも、毎週、ロンが彼女に語りかけるメッセージ付きのイラストを送り続けている。

心温まるイラスト

 高校時代、同じ軟式テニス部にいたS君とは、12月末に、もつ鍋や馬刺しがうまい高円寺の九州みくにで飲んだ。お酒は飲み放題。彼によると「随分量が少なくなった」という料理と合わせ料金は5000円だった。大手銀行の役員、子会社の社長も務め、今年6月末で退任した彼は、高校時代の彼なら選びそうな、くつろげるコストパフォーマンスの良い店を選んでくれた。楽しい2時間だった。

庶民的な店で一献

今日は、もつ鍋や馬刺しがうまい高円寺の九州みくにで、高校時代同じクラブにいた腕白なS君と飲んだ。 お酒は飲み放題。彼によると「随分量が少なくなった」という料理と合わせ料金は5000円だった。大手銀行の役員、子会社の社長も務め、今年6月末で退任した彼は、高校時代の彼なら選びそうな、気兼ねのないコストパフォーマンスの良い店を選んでくれた。楽しい2時間だった。

 奥さんと二人での旅行、ゴルフ、スキー、飲み会。「高校時代のような自由を満喫している」という。支店統括の部長を務め、50歳の若さで役員に。「武闘派だった」こともあり、頭取までは上り詰めなかったが、役員時代の仕事の密度は相当高かったようだ。私のようにまだ燃焼し尽くしておらず、会社にいた時の仕事を今も続けている者もいれば、彼のように、65歳からの人生は「やりたいことをやる」として、仕事とは完全に決別、プライベートの暮らしを楽しんでいる人間もいる。65歳以降の人生は多様で、「かくあるべし」というものはないと思うが、「自分の思いに忠実に生きる」ことでは一緒だと感じた。
 彼は40歳の時に会社だけが生きがいの人間になってはいけないと出世コースの企画部門からの異動を希望。国内支店の支店長を務めるが、その後ニューヨークに勤務。2011年のテロに巻き込まれるものの九死に一生を得る。この武勇伝がいかにも彼らしいが、その後、彼自身思っても見なかった役員になる。特定の派閥にも属さず、彼の生き様だけが役員に任命される決め手だったようだ。
 人生にはいろいろな道があるが、どの道を歩もうが、どのくらいのスピードで歩こうが走ろうが、勝手だ。友人の生き方を面白いと感じ、それを肴に飲む時間は格別だった。

 2023年の1月末には中学時代の友人、大沢幸弘くんと会った。彼が、中学校の校庭で陸上競技の練習をしている姿が一番、記憶に残っている。中学生なのに「紳士」で、秀才で、スポーツマンだった。早稲田高等学院では、バスケ部に入り、インターハイにも行ったらしい。
 1979年に三井物産入社。プラント輸出、エネルギー、情報産業部門にいたが、48歳の時にヘッドハントされて米マクロメディア社(当時)・日本法人社長に就任。しかし、ほどなくマクロメディア社はアドビ社に買収される。 我々、昔からの友達は、彼の肩書きがたびたび変わるので、転職を繰り返しているのかと思っていたが、「転職は3回。買収したり、されたりで、会社は7社目」という。彼は著書の中で、「転職歴が多過ぎ、1社毎の勤務年数が短か過ぎて、40歳以降の転職に差し支えることもしばしば」と書いており、そのあたりはわきまえている。

 大沢くんは2014年3 月、米ドルビー社・日本法人の社長にヘッドハントされ、現在に至る。日本企業と違って「定年」はないと言う。自分がいつやめるかを決めなければ終わらない。彼は、日本そしてアジアを統括する社長としてずっと仕事をしているが、本当に、好きなことを楽しんでやっている感じだ。2014年に出した「心が自由になる働き方」(かんき出版)を読むと、彼は、そういう生き方をしているんだ、ということがよく分かる。

心が自由になる働き方、素晴らしい

 この本の中で、大沢幸弘くんは、「なぜか明るく元気で、少々のことでは『めげずに折れない』で、仕事の結果を出している人」の共通点を挙げている。「会社に雇われているサラリーマンでありながら、仕事の取り組み方が、まるで勤務先の会社から業務委託を受けている仮想会社のオーナーのような感覚の持ち主」ばかりだという。「勤めているのに、『自分の勤務先&上司』を顧客(クライアント)のように捉え、つねに満足させるよう行動)するというのだ。この距離感を会社勤めの時に持てれば、会社や上司の悪口や愚痴などは言わず、自分の責任で仕事ができる人間になれると思った。 
 
 この本で特に面白いのが会社人生での財務諸表。 例えば。「大切なことを大事にする人の損益計算書」の売上高の項目は「夢中になること、好きなことをすること、他人の役に立つこと、人に喜ばれること」。必要経費は「失敗、挫折、涙目、お詫び、叱責、我慢」。利益は(達成感、充実感、周囲の幸せ、笑顔、社会への貢献」。 これに対し、「世俗的な成功ばかり追う人の損益計算書」の売上高は「得になること、稼げることをする、自分の役に立つこと、自分が喜ぶ」。必要経費は「失敗は他人に、逃げ足早く、詭弁・強弁、強欲」。利益は「優越感、自分だけの幸せ、ほくそ笑む、薄っぺらい名誉」。いいなあ、大沢くん、こういうところは中学時代から変わらない。彼はまもなく67歳になるが、バリバリの現役だ。アジアのこの地域のテコ入れを頼むと言われると断れず、そうすると、社長業はなかなかやめられないという。それでもいつか、社長をやめたら何をするの?と聞いた。 ビジネスで付き合った人は大勢いて、起業しているような友人も多いと言う。だから、面白そうな仕事に誘われることが多いらしいのだが、「いまは社長だから受けられない」と少し残念そう。

 そうか。いまは受けられないような仕事をするのが夢なのかーー。 仕事一途に見えるが、彼の定義だと、仕事は、イコール「夢中になること、好きなことをすること、他人の役に立つこと、人に喜ばれること」。だから、仕事をずっと自由な心で続けることが楽しいと考えているのだろう。目の前にいる彼は66歳になって疲れの見える友人ではなく、40代の元気な友人に見えた。きょうは築地にある彼の会社近くの寿司屋で寿司を奢ってもらった。

 興味深い彼の生き方の話に美味しい寿司。そしてドルビーシネマの魅力もたくさん聞いた(近々丸の内ピカデリーのドルビーシネマの迫力がの立体音響で映画を見ようと思う!)。とても充実したランチだった。 

 高齢期はなかなか仕事はなく、マンションの管理人という、典型的な退職後の仕事に就いている、高校2年の時の同級生、S君は、どんな気持ちで毎日を送っているのだろう。
 彼とは、1月中旬、中野のカフェで会った。彼はコロナ禍の前に会って中野の居酒屋で一献。その後コロナ禍真っ最中にLINEで「相川元気か。ひまだったら、最後から2番目の飲み会やらない?」と彼からメッセージが来た。「最後から2番目」ってどういう意味だ?もう飲むのは最後にしようという意味?考えているうちに返事をしないまま1年半経ってしまった。
自分以外の人のことは知っているつもりでも、ほとんど知らないーー。そう思って、今年は、知人、友人と積極的に会って、話をしている。相手のことがよくわかってくると楽しい。今日は高校2年の時の同級生、S君と、中野のカフェで会った。 彼はコロナ禍の前に会って中野の居酒屋で一献。その後コロナ禍真っ最中にLINEで「相川元気か。ひまだったら、最後から2番目の飲み会やらない?」と彼からメッセージが来た。「最後から2番目」ってどういう意味だ?もう飲むのは最後にしようという意味?考えているうちに返事をしないまま1年半経ってしまった。
 彼はすこぶる元気だった。当時、たまたま、小泉今日子主演のドラマ「最後から二番目の恋」を再放送か何かでみて、感動。このフレーズを使ったらしい。そんなの知らん。いまどきのドラマ「silent」のフレーズだったりしたらわかるかもしれないが、最後から2番目は見ていないし、10年前のドラマだ。「最後から2番目の飲み会」って、もう死ぬのが近いからという意味?と思い、心配していたが、取り越し苦労だった。

 彼によると、もちろん、体はだいぶガタが来ているらしい。なんでここにこれが置いてあるの!?と、驚くことが最近多く、認知症も心配という。
 定年退職後、彼は、演劇の舞台監督をしている中学の友人の助手を務めていた。演劇では演出家が一番偉いが、舞台監督も、舞台の大道具小道具、照明、音楽など、役者の演技以外の世界を司る仕事なので、稽古から本番までずっと、関わっていく。何度も上演するので、途中で飽きてくるのが難点だが、面白かったという。その仕事もコロナ禍で演劇の上演がほとんどが中止になり、なくなってしまったという。友人の舞台監督は、いまは、その技術を、大学の講師として教える仕事が中心になっているらしい。
 今月はたまたま舞台の仕事が入っているが、舞台の仕事は少なくなったので、最近は、週2回、マンションの管理人の仕事をしているという。マンションの管理人が有休を取った時などのピンチヒッターの仕事。マンションの管理会社の面接を受けて採用され、研修も受けてから始めたという。1日8時間の仕事だ。
 マンション管理、警備、軽作業、交通整理…。頭文字がKの、「いかにも高齢者向きの仕事」を彼がしているとは思わなかった。清々しく淡々と勤めているようで、そこは彼らしい。
 マンション管理は待ち時間の多い仕事。そんな時はパソコンを眺めていることもあるという。パソコンはMacBook Air。私と同じだ。「形から入るんだ」と、彼は、MacBook Airを使っている理由を明かす。
 で、パソコンで何をしてるの?と聞いたら、「断片的だけど冒険小説を書いている。これも形から入ろうと万年筆と原稿用紙を用意したけど、パソコンの方が便利なので」。
 彼が好きなのは、トム・クランシー(「レッド・オクトーバーを追え」は読んだ)、アーサー・ヘイリー(「マネーチェンジャーズ」は読んだ)、ジェフリー・アーチャー(有名な人で、本のタイトルもいくつか知っているが、読んだことはない)ら海外の作家。日本人だと山崎豊子。
 そうか、彼は映画やテレビドラマの原作にもなるようなドラマチックな作品が好きなんだ。舞台監督の助手として、飽きるほど舞台を見続けていたことも栄養になっているのかもしれないーー。
 塩野七生の「ローマ人の物語」は文庫版43巻を全て読んだという!

 私の場合、セカンドステージは、一言で言えば、「総決算」の時期。現役時代にやり残したことをきちんと仕上げたい。それは高齢者の生き方としては、至極真っ当なことと思っていた。 けれども、結局、「現役」を引きずっている。仕事は、高齢者にありがちな頭文字がKの仕事をしていても、彼の心は、ロマンの世界へ。いいなあ。
 S君とは、大学生活の最後の春休み、伊勢丹で一緒にアルバイトをした。なんの伝票だったか?売り場から伝票を集めてくる仕事で、二人で一緒にすることができた。4月から私は日経の記者。彼は小売業の世界に。私が手にするのはAJ(朝日ジャーナル)。彼が手にするのは「JJ」。若い女性のファッションを研究していた。それから43年も経った。

  彼は「山歩きは途中で倒れたら誰も助けに来てくれないかもしれないが、街なら救急車をすぐ呼べる」のと、「冬はトイレが近くなっている」という理由で、歩くのは好きだが街歩きをしているという。「最近は渋谷が多い」。
 なぜ渋谷?「冒険小説の舞台が渋谷だからリサーチしている」。彼とはこれから、一緒に街歩きをすることにした。歩きながら、いろいろな話ができそうだ。 


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