林田睦史
危機管理アドバイザー・コンサルタント
2023年1月にウッディ・アンド・カンパニー㈱を設立したばかりの林田さん。 企業ミッションは「希望ある国家社会づくりに努め、森の動植物の如き共存共栄、物心両面での豊かな世の中の実現を目指します」との事です。
高校時代の林田さんは芸術家志望だった
林田さんは熊本県出身。高校時代は学校でみんなと同じ勉強をすることに疑問を持ち、教室で勉強することに抵抗を感じるちょっと変わった青年。教室より美術室にいるほうが多かったようです。そこで何をしていたかというと、大きなキャンバスに様々な色を叩きこんで自分だけの絵を創り上げる日々だったそうです。
先生たちもそれを批判することはなく、それぞれの先生が様々なサポート・対応をしてくれたと言うのです。単位が足りなくなると独自の課題を出してくれたそうです。
例えば「近代農業の普及について調べてこい」とか。
それがかえって面白く、博物館へ行って学芸員の人に教えてもらったり、文献や資料を集めて独自で勉強をしたり。
大学受験も最初は芸大を目指すも、途中で医学部の精神科にしようか…そんなことを考えているうちに一浪し、翌年慶応大学の文学部に進学するのです。
そこでも彼らしい学びをします。同じ学内にある医学部OB研究機関の精神病理学について2年間学んだそうです。 それが終わると、大学がつまらなくなり、4年生の時に卒業を待たずに就職するのです。
社会人になってから〝人〟に興味を持ち始める
最初は営業マンとしてスタートするのですが、ヘッドハンティングで2回ほど転職します。
そこで現実を知っていくのです。裏切りや想像を超えた災難が次から次へと襲い掛かってきたと言います。
そういう中で見つけたのが「人」を幸せにする仕事。
林田さんはそれが自分に向いていると一念発起して、ホテル業界に挑むことになります。
ホテル業で20年勤務。
そこでは、お客様へのサービス、上司と部下を繋ぐ管理職の仕事を精力的にこなしていきますが、ある日、部下からパワハラの悩みを打ち明けれたことから、林田さんの人生が大きく変わっていくのです。
気が付けば、職場にはまだ従業員のメンタルヘルスとか危機管理の制度など全くない。
人の心の問題と向き合う事件が多発していく中、真剣に関われば関わるほど、先が見えない。いつの間にか自分まで巻き込まれていくのです。
個人では解決できない問題に挑んでいくのですが、心が壊れてしまい、最終的についた病名はは適応障害・PTSD。そして、9か月の休職を余儀なくされるのです。
パワハラの原因究明、あるいは防止策の規約など全くない中で部下たちも同じ様に苦しんでいたが、どうにもならなかったと言います。 最終的には林田さんは退職という選択を取らざるを得ませんでした。
苦難が、自分が歩く道を作ってくれた
林田さんは「苦難を乗り越えられる人しか苦難はこないし、その苦しい事件に挑んだからこそ、今の仕事に繋がっている」と言います。
そして今あるのは、身近な人が手を差し伸べてくれたり、道を拓くヒントをくれたりしたお陰なのだとも。
これからは「希望ある社会、共存共栄で豊かな社会を創る」
そう言いきる林田さんの人生を振り返ると、なるほど・・・そうか・・・それで今があるのか・・・。傷ついた深い体験からの〝今〟なのだと確信するのです。
ツキヒヨリでは、みんなの応援団になっていただけたら、みんなも百人力でお仕事を前に進めていく事ができるでしょう。