Takashi Shimamoto


島本高志


大阪市豊中市出身

1954年4月生まれ

男3人兄弟の末っ子として大阪市豊中市で生まれる。兄二人に揉まれていたせいか、近所で評判のガキ大将だった。身体も大きくいわゆる肥満児で、まるでジャイアンそのものの子供時代。近所の友達からは恐れられ、要するに嫌われ者だったのか?そのことを自分が知ったのは小学4年生の時だった。

担任の先生から「もっとお友達の気持ちを考えてあげないと、嫌われ者になっちゃうよ」と。その時の言葉は子供なりにも衝撃で今でも忘れない。

それでも小、中学校時代は生徒会長、部活ではキャプテンとして、やっぱりリーダー格の自分が存在。ただ恩師の言葉はずっと心の内にあり、常に周りの人達の気持ちを思い過ぎてしまい、本来の自分を出せなくなってしまうという一面もあったような・・・。

高校は進学校の豊中高校、大学は立命館へと進み「もっと世の中のこと知って、自分の可能性を試すんだ」と夢に溢れていた。

特に当時学生の間でベストセラーとなった小田実の「何でも見てやろう」を読んで、どうしても若いうちに海外を見てみたいという思いに駆られる。

大学卒業時、就職という選択の前に中南米横断バックパッカーの旅に出る。

メキシコを皮切りにホンデュラス、グアテマラ、コロンビア、ペルー、ボリビアなど各国をバスで移動する貧乏旅行。最後アルゼンチンに着いたのが半年後。

命がけともいえる無謀な体験は自分を大きく変えた。けれどそのあとに控える就活では既卒者という履歴が、マイナスに転じてしまう時代だった。

日本に戻って、厳しい現実の中でやっと採用されたのが大手カバンメーカー。

私は猛烈な自己プレゼンで入社を勝ち取ったと思っている。自分がこれだと決めた時には、自身が驚く気迫で臨むのが自分流。

今でこそ、穏やかな印象を持たれるけれど、だいぶ熱い男なのだ。

1978年4月 大手カバンメーカーÅ社 大阪本社に入社、研修後に東京の営業勤務となる

当時のÅ社は東京進出を果たし社業飛躍の時代。日本経済も大きく発展するタイミングで、海外旅行も身近なものになりスーツケースをはじめ旅行用品を扱う自社の業績は右肩上がりの時期に営業経験ができたのは幸運だった。

営業のスタートは新宿のI百貨店の担当助手から。その後、都心大手の百貨店を担当。その間、営業マネージャーから次長、部長として25年間一貫して百貨店の営業畑を経験。

2002年本社営業推進部(のちのマーケティング部)部長に就任。

当時、売上げの大きな部分を占めていた海外ブランドのライセンス契約を、以降の自社ブランド化に向け提携解消するという社の英断に伴い、新たなブランドのローンチというまたとない一大イベントに携わる。

外部のマーケティングやコンサルティング会社、広告代理店との交渉、TVCMなどの広告宣伝、PR、広報等々、願ってもない会社のターニングポイントに遭遇し成功に導けたのは幸運であり大きな経験となる。

自社の理念は創業者の強い思いでもある

「商事是亦報恩の道」

商いの道もまた謝恩感謝の心。

作ること、売ること、買っていただくこと、それらは全て喜びと繋がり、信じあえる商いこそが社会への責任だと。

私自身もこの精神で仕事を貫いて来たという自負がある。

2010年1月 執行役員チェーンストア事業部長、
2014年1月 取締役百貨店事業部長 を経て
2019年1月 子会社のAサービス(株)代表取締役社長、同社顧問  
2021年3月 同社退社で今に至る

ツキヒヨリでは、ジャイアンではなくドラえもんとして「どこでもドア」の扉を開けるサポートをしたいと思っています。